小川洋子「飛行機で眠るのは難しい」小説感想
作家の小川洋子さんが褒章を受章されました。
今回、小川洋子さんが選ばれたのは紫綬褒章(しじゅほうしょう)といって、
- 科学技術分野で発明とか発見した人
- 学術及びスポーツ・芸術文化分野で優れた業績を挙げた人
に贈られるものとのこと。
対象分野がずいぶんと幅広いんですね。
スポーツから文化まで一緒くたに分類されるこの感じ…「ザ・文部科学省」という印象です。
で、紫綬褒章というだけあってほんとに紫色のリボンのメダル的なものが授与されるみたいです。
ググっていたら、内閣のHPで画像が見られました。
そんなタイムリーなニュースもあり、小川洋子さんの短編集が家にあったことを思い出したのです。
新潮文庫の『まぶた』。
褒章受章の報道では、小川洋子さんの小説のルーツが『アンネの日記』であると触れられていました。
『アンネの日記』のオマージュと位置づけられるほど強く関連するのが『密やかな結晶』という作品だそうで、そちらを読んでみたいと思ったのですが、まずは家にある作品を読んでみようということで『まぶた』を手に取りました。
『まぶた』はまず2001年に単行本として出版され、2004年に文庫化。
つまり、代表作ともいえる『博士の愛した数式』よりも昔に出版された作品ということになります。(『博士の~』が2003年)
『まぶた』は8篇の作品から成りますが、冒頭に収録されているのが「飛行機で眠るのは難しい」。
なんでもこの作品は高校の現代文の教科書にも載っているそうです。授業で採用されている学校はラッキーですね。
コンソメスープを貰うまでは、うかうか眠れやしない
さて、「飛行機で眠るのは難しい」というタイトルを聞いて何を思いますでしょうか。
あぁ、コンソメスープを貰いたいから飛行機で眠らないようにしている人の物語かな。
私がまず思いつくのはこうです。
とても食い意地が張っていますね。いや、スープだからギリギリ「食い意地」ではないか。許して。
そもそも、飛行機で眠りたいですかね?
離陸する前のCAさんの非常設備の説明は見逃せないし、機内ラジオも聴かなきゃだし、ANAを使った日には翼の王国を隅々まで読まないとならない。窓の外をそわそわ確認してみたり、お手洗いに行くにはシートベルト着用サインが消えている間にタイミングを見計らって…
(なんと時代の流れか、翼の王国は電子版になり、機内ラジオは終了または縮小しているらしい)
そりゃあ「飛行機で眠るのは難しい」よなぁ。・・・ってそんな話ではないらしいです。
眠れないからって、他人を、道連れに、するな~!・・・ん?何やら様子がおかしい・・・
「飛行機で眠るのは難しい。そう思いませんか、お嬢さん?」
国際線の深夜便の機内で、隣の席に座り合わせた見知らぬ乗客から突然話しかけられたらどうでしょう。
しかも、謎の「お嬢さん」呼び。
主人公の「わたし」も、初めは嫌な予感がしました。
しかも、フライトの二週間も前から彼と関係がギクシャクしていて、電話もしないでウィーンへ旅立ってしまったという心残りもある。
機内は照明が消され、「眠る時間やで」とスチュワーデスが窓のシェードを順に下ろしているところ。
隣の男は自分語りを続ける。
き、気まずすぎる…
かと思いきや。
「わたし」は、隣の男に相槌を打つ自分が、さほど不愉快を感じていないことに気付き、そして戸惑います。
隣の男は「飛行機の眠り」に異様なこだわりを見せ、それを「わたし」に語りかけます。そして、「眠りの物語」と称して奇妙な話が始まるのです。
なんだか寝る前に読み聞かせをしてもらう小さな子どものよう。
飛行機で隣り合った老女が自分の腕の中で死んだ
男の始めた奇妙な話というのは紛れもない「物語」でした。
昔話、それも自分の腕の中で人が死んだという強烈なエピソードを語り始めるとき、自分だったらどうやって話を組み立て、伝えるだろうかと考えました。
「人が死んだのを間近で見たことがある。しかも、飛行機で隣に座っただけのお婆さんが突然発作を起こし、自分の腕の中で死んでいった」
実際に体験したわけではないので語れるはずもないという前提を抜きにしても。
なんだか当事者性が伝わってこないというか、確かに出来事を並び立てているはずなのに、内容のわりに強烈さが感じられない説明です。
男の語りはこう始まります。
十五年近く前です。僕は父の元で、古書の売買の仕事を勉強中でした。
当時の自分の立場を明かしながら、いつの時点でのエピソードであるかを前置きしています。
昔々あるところに…から始まる物語っぽさがあります。
このように語り始めることからも、男は物語として老女のエピソードを「わたし」に話しかけていたのだと受け取れます。
逆さまからのぞいた双眼鏡のレンズで観察した老女
インパクトのある出来事に遭遇したとき、かえってメインの事象に関係なさそうな些細なことの方をよく覚えているものです。
男がしきりに語ったのは、老女がいかに小柄であったかということ。
十二歳の骨格を老女の皮膚で覆ったかのようでした。
病的な要素は窺えないものの、奇妙なまでの小柄さが記憶にあるよう。
老女が触れるたびに、ナイフやフォーク、紙ナプキンといったものが彼女にふさわしいサイズに縮小したのだったと男は語ります。
双眼鏡を逆さまからのぞいているような気分でした。
ミニチュアの世界に迷い込んでしまったかのような感覚を語りたかったのでしょうか。
普通、といってはなんですが、対象の小ささを主張したいとき、対象に対して周囲のものが明らかに大きすぎた、という描写をするものではないかと思うのです。
老女のか細い指に対してナイフもフォークもはるかに重厚で、まるで慣れない工具を扱っているかのようだった。
あるいは、紙ナプキンで口元を覆っているはずが新聞紙で顔を隠しているようだった、といったように。
「双眼鏡を逆さまからのぞいているような」という比喩からは、老女と老女がまとう空気感のようなものの独特さが、ことさら伝わってくるように思います。
物語の嘘
老女は三十年文通していた日本人のペンフレンドの死をきっかけに、お墓参りのためウィーンから日本へ訪れたといいます。
その旅の帰りの機内での出来事が、男の物語の内容です。
老女は旅をとおして、ペンフレンド相手が手紙に書いていたことの半分以上も嘘だったと分かります。
それでも老女が男に対して語ったのは、私は三十年間ペンフレンドに恋をしていて、その真実は変わらないということ。ペンフレンドとの間に真実があったのだから構わないということ。
飛行機の中で老女が死んでいった後、男はウィーンにある老女が営んでいたはずの布地屋を訪れます。
機内で老女は布地屋が繁盛している様子を語っていました。そのときから男は薄々違和感を覚えていたのですが…
いざ実際に布地屋を訪れてみると、老女が話していた内容とはすっかりかけ離れたお店の姿があったのでした。
と、ここにも嘘があります。
男は嘘を見届けつつ店のウインドー下に花束をたむけます。
その場で男は老女の死を悲しみましたというところで物語は終了します。
夢を見る前にも物語が必要だ
「わたし」は男の物語を聞き終え、おやすみなさいの挨拶を交わし、ある思いが浮かびます。
ウィーンに着いたら、喧嘩以来連絡を取り合っていなかった恋人に一番に電話しよう。
そう気持ちを整理して、男の語った物語に登場したヤモリやキャンディーの缶、映画俳優の写真がまぶたの裏の暗闇に映るのを味わいます。
そして手の中に小さな死の塊があるのを感じ、その塊が眠りへ導く案内役の役目を果たしていることに気付くのでした。
・・・という短編小説が「飛行機で眠るのは難しい」という物語だったのでした。チャンチャン。
人間の脳は睡眠中に記憶を整理しているといいますが、人間というものは睡眠時に夢を見る前にも物語を必要としているのではないかと、ふと思いました。
物語なので誇張もあれば嘘もあります。老女のペンフレンド相手からの手紙にも嘘があったし、老女の話にも嘘があった。もしかすると男の物語にも嘘があったかもしれない。
そもそも、飛行機の中ってエンジンの音はするし耳はつまるし、隣の人と会話、できなくないですか?
元も子もないようなことを言ってしまいましたが、物語の真実がどうであれ、何らかの核となるものがあったから「わたし」は恋人に電話をしようと心情の変化が起きたわけだし、嘘も方便的な効用が発揮されたのでしょう。
いつだって「眠りの物語」を脳内本棚に並べておく、そんな生き方で世の中をかわしていければ
先行きがわからない世の中に不安があると、睡眠に影響してくるものです。
眠りにつけたとしても、もしかすると悪夢を見てしまうかもしれません。
それならばせめて眠る前くらいは、自分にとって心落ち着く物語を堪能したいですよね。
「飛行機で眠るのは難しい」に登場した「眠りの物語」は、奇妙で、明るい内容ではないし、ハッピーエンドかと言われたら微妙、でも不思議とすっと眠りへ導いてくれる。
物語が終わった後、手の中に何か小さなものが残るような「眠りの物語」があれば。
いくつかの「眠りの物語」を脳内本棚に持っておき、辛かった1日もすっと終えることができればいいなと思います。