ほらあなブログ

ちょっと気になることを調べたり考えたりした記録

Hump Back「拝啓、少年よ」を聴いてワンワン泣きながら運転した話

その日、午後から予定があるのにどうしようもなく憂うつな気分で、自分をだましだまし持ち堪えさせていた。脳の普段使われていない部分が活性化でもすればいくらかマシになるのではないかと、左手で歯磨きをしたりしても逆効果だった。(ほぼ日刊イトイ新聞でも糸井重里さんがやっていたので真似をした。)

出発時刻から逆算して昼食をとった。完食前に涙が湧いてきて仕方がない。胃腸がそれなりに機能していて食欲も皆無とは言えないので、それなりに動こうと思えば動ける体調。物を食べながら涙をこぼすのはそこそこ異常事態に思えるが、ただちに命にかかわる状況ではないので予定を決行することに。

 

車に乗り込み、せめて何かスカッとするような曲を流そうとその日選んだのがHump Backの「拝啓、少年よ」だった。


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いまや三十路になってしまった私だが、邦ロックしかもガールズバンドのみずみずしくもトゲトゲしたピュアな思春期青春真っ只中な楽曲にくるものがあり、ひそかにチェックしていた。キラキラ眩しすぎてここのところ聴き返すことはできていなかったが。

  

曲の冒頭で問いかけられる歌詞にハッとする。

 

それでいいのか?今のままでいいのか?やりたいことやれてる?なにを恐れているのか?見えないものに怯えすぎてやしないか?10代~20代前半の頃の自分の方が突っ走れていたと自覚し、今の自分が守りに入り込んで身動きが取れなくなっていることを突き付けられる。30代が終わっても、40代に突入しても、そもそもいくつまで生きるかわからないけれど、行き詰った節目ごとに逃げられない問いとして君臨し続けるだろう。

夢ばかり見ていてきれいごとばかり手繰り寄せていたからこんな風になってしまったのか。なにかの罰が当たったのかもしれないと思う。うまくいかない先が見えないと不幸に浸ることが常習化しやがてそれが言い訳になる。

 

曲が進行するにつれ、励まされているような、慰められているような感覚になってくる。

 

慰められれば慰められるほど余計に涙が止まらなくなるので、ひとしきり泣く。弱さと対峙したあとにようやく弱さを受容し受け入れられる。弱いことを弱いと自覚することがしなやかな強靭さに繋がるのだろうということを最近考える。それが今の自分なりの「弱くはない」という基準なのかなと思う。

 

そんなわけでワンワン泣きながら運転して、目がパンパン鼻の奥もズルズルに詰まった状態で予定を消化した。マスクがあってもギリギリセーフにすらならないくらい隠しきれてなかったけど、遠回りしている最中なのでこれでよしとする。