ほらあなブログ

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風景描写の上手い文章を書きたくて小説『影裏』から学ぶ

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ふと風景描写の上手い文章を書きたいと思い、芥川賞を受賞した小説『影裏(えいり)』を思い出しました。

 

 

本日2021年5月5日は暦の上で立夏を迎えました。夏のはじまりというわけです。Twitterで暦に関するアカウントをフォローするようになり、以前より二十四節季の区切りを意識するようになりました。しかし実生活で体感する季節としては、ようやくそろそろタイヤ交換してもいい頃合いかなと思える"冬の危険性がだいぶ薄れた春"といったところです。

 

散歩をしていると、枯草の下から生えたふきのとうがすっかり伸びきり、ミズバショウが群生している風景を見かけるようになりました。ふきのとうのつぼみの時期が過ぎ、ミズバショウの出番になると季節が進んだなあと実感します。ミズバショウの咲いた風景を見て、まるで忘れ去られた墓地のようだと感じました。まだ葉が茂っていない木々の下の、少し陰ったところにポツポツと散らばっているミズバショウに何とも言えない幻想的な印象を抱いたのです。そのミズバショウが点々と独特の間隔を保ってひっそりと咲いている空間を、文章で表したいと思い立ったのです。

 

しかしどうにも伝えたい情景が文章にならない。そういえば『影裏』が芥川賞を受賞したときに、風景描写が評価されていたような気がすると思い出しました。

芥川賞-選評の概要-第157回|芥川賞のすべて・のようなもの

リンク先は選評が見られるサイトです。改めて確認すると、描写力の巧みさを評価した選考委員は何名かいますが、風景描写のことを言っているわけではないようです。

 

『影裏』がどんな小説かと聞かれると私はどうやって説明するだろうかと考えます。簡単に言うと自然の中で釣りをする話です。自然の中で釣りをして過ごした"わたし"と日浅の思い出が土台にあり、そこに東日本大震災や"わたし"と日浅の父との接触が起こります。"わたし"と日浅が過ごした彩度の高い記憶と、日浅が記憶の中にしか存在しなくなったぼんやりとした現在の対比にコントラストを感じる小説です。感動するとかハラハラドキドキするとか、大きく心を揺さぶるような内容ではないですが、いつの間にか始まっていつの間にか終わっていることがなぜだか心地いい作品だと思います。

 

この小説の冒頭は、"わたし"が釣りスポットとして訪れる生出川(おいでがわ)の描写から始まります。風景描写がいきいきとしていて魅力を感じます。映画のカメラワークのように視点がスムーズに誘導されているからなのでしょうか。まず小道にスポットが当たり、"わたし"の体の動きに呼応する植物の感触について説明されています。次に視点が少し離れたところに移動しつつも、風景の中に存在する細かなパーツに注目して丁寧に描写が行われています。これが小説の書き出したった三行で行われています。ものすごい技術です。

 

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