ほらあなブログ

ちょっと気になることを調べたり考えたりした記録

ニュースで使われる視聴者投稿映像が伝えるものは何だろう

今日の夕方のニュースで、視聴者投稿映像を元にした報道がありました。

いつもなら何気なく見て終わりなのですが、なぜか印象に残りました。

視聴者投稿映像がニュースで使われるようになり、世の中はいい方向に進んでいるのだろうか?

と、疑問に感じたことをまとめます。

 

 

視聴者投稿映像がニュースで使われ始めた頃に期待していたこと

スマートフォンが普及して誰でも気軽に動画記録を残せるようになった頃、ニュース番組が視聴者投稿映像を募集するプラットフォームを立ち上げました。

私が知っているのは、どさんこ投稿BOXで、地方テレビ局が運営しています。

夕方にどさんこワイドという情報番組が放送されているのですが、その番組中にCMで「どさんこ投稿BOXにあなたの目撃した情報を投稿しよう」といったような触れ込みでプラットフォームが周知されていた記憶があります。

 

こういう仕組みができた初めの頃、私は便利な世の中になったと歓迎する気持ちでした。現地の情報が、報道記者がいなくても手に入るからです。

例えばどこかで災害がおきたとき、現地の人が被害状況を発信することで報道機関が情報を整理し、現地に必要な支援がいち早く取られるなどメリットが大きいだろうと感じました。

 

視聴者投稿映像が果たしている役割がどの方向に進んでいるか観察してみて

スマートフォンが普及したほか、ドライブレコーダーも多くの人が利用するようになりました。

それに伴い、ニュースで視聴者の提供したドライブレコーダー映像が素材として使われる機会も増えました。

 

ちょうど今日のニュースで使われていたのも、ドライブレコーダーで録画した映像でした。

危ない運転をしている車が映像でとらえられ、報道機関に提供されました。そしてその映像を元に報道機関は情報提供者に取材をしています。

さらに、報道機関は現地の人へインタビューも行っています。警察も捜査を進めていると報道されていたので、おそらく警察へも取材したのでしょう。

 

この構造をわかりやすく整理してみます。

  1. 「危ないなあ」という個人の違和感が起こる
  2. 発信力を持った報道機関がそれを取り上げる
  3. 他の視聴者に拡散される

「危ないなあ」「この運転のしかたはどうなの」といった個人の違和感や主張が世の中に共有され、結果として危険運転が減り、安全な社会になるのであればとてもいいことだと思います。

 

上で整理した構造を言い換えてみます。

  1. 危険行為を行う人物を個人が発見する
  2. 発信力を持った報道機関がそれを取り上げる
  3. 他の視聴者に拡散される

「こんな危険行為をしている人がいた!」「こんな運転のしかたはやめさせるべきだ」という通報が、報道機関に向かって行われます。結果としてニュースとなった様子を見た視聴者は何を考えるでしょうか。

「自分も気を付けよう」と意識を改めるというより、「なんてやつだ、早く捕まって欲しい。罰せられて欲しい」と思う人が多いのではないでしょうか。

 

交通ルールを守らないことはもちろんいけないことですし、ルール違反を減らす取り組みは必要だと思います。

 

私は、ルール違反を減らす取り組みとして、チクり・監視・密告は効果的に働かないのではないかと思うのです。

今回映像を投稿された方は、その方なりの考えがあってのことだと思うので、批判する意図はありません。

 

私は、何かもっと他に効果的な方法があるのではないかと思うのです。

ルール違反を判定し然るべき処罰を下す権限がある機関に通報することと、そのような権限を持たない対象に知らせることは、違います。

 

何といってもお互いがお互いを監視し合うような社会は息苦しいので、それが当たり前の世の中にはなって欲しくないと感じます。

 

望まない監視社会化へ向かわせないためにはどうすればいいのか

監視社会というと、国家などの権力者が国民や統治したい対象を監視するパターンがまず一つあるでしょう。

日本の場合はこうではなくて、お互いがお互いを監視し合う社会になりやすいと感じます。監視し合って問題行為を発見した場合、周囲で共有するかあるいは上層部に報告する流れがとられやすいように思います。

日本人の素質としてそもそもそのような監視文化があったのかもしれません。戦時中の隣組制度が思い浮かびます。

 

最近、日本人は成功した人を引きずり下ろす思考を取りがちだというオピニオン記事がありました。

日本経済、低迷の元凶は日本人の意地悪さか 大阪大学などの研究で判明

お互いがお互いを牽制し合う監視社会化しやすいことも、これに通じるものがあるのではと思います。

 

監視社会を脱するか、もしくは監視社会であっても息苦しくない監視社会を目指す方へ向かっていくといいなと感じます。

そのために必要なのは、「あいつだけずるい」という感情との向き合い方を攻略することだと思います。

 

今日見たニュースで危険運転として取り上げられたのは、近年問題視されている「コンビニワープ」と呼ばれるショートカット走法でした。

確かに危険ですが、根底にあるのは実は「あいつだけ近道してずるい」という感情であるようにも思えるのです。

もしルール違反でないなら私だって近道したいです。ですが、ルールは安全に配慮して設計されているのだろうという意識があるのでルールを守ります。

近道するよりも安全をとるほうが得だと思うでそうします。

もしルール違反をした方が得であるのなら、そのルールは設定が破綻しているのかもしれません。

 

「ずるい」という感情は、「やめさせるべき」という考えと結びつきやすいように感じます。

「ずるい」×「やめさせるべき」×「チクり行為」の相乗効果がエスカレートするのは危険だなという感覚があります。

そして、それをニュース番組が助長する構造は、少し注意深く見ていく必要がありそうだと思うのです。