差別的取扱いの禁止が明示された法律は存在するのか?
よくわからない記事をTwitter経由で見かけたので、考えてみることにしました。
「同性婚を阻む可能性も。自民党の『LGBT理解増進法案』がダメと言われる理由」というタイトルの記事です。
私がわからなかった点は、「差別的取扱いの禁止が明示された法律は存在するのか?」です。
記事を要約すると
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LGBTQ当事者ら有志がLGBT理解増進法案には差別的取り扱いの禁止が明記されていないと指摘した
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松岡宗嗣氏はLGBT理解増進法案に①差別を放置してしまう➁同性婚やパートナーシップ制度の導入を阻害する➂トランスジェンダーへのバッシングを助長してしまう懸念があると述べた
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土井香苗氏はLGBT理解増進法案よりも(差別的取り扱いによって)苦しんでいる人たちを救う法律が必要だと述べた
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SNS上ではLGBTに対する差別禁止を明確にした法案を求める「#LGBTQがいじめ差別から守られる法律を求めます」というハッシュタグを使用したコメントが集まっている
ということです。
記事中に
という説明があります。
私は法律の専門家ではありませんが、学生時代障害児教育に関する単位を取得したこともあり、上記三つの法律の中では障害者差別解消法に取りかかりやすいので、こちらを確認してみることにします。
障害者差別解消法第三章第七条および第八条に「障害を理由とする差別の禁止」という見出しがあります。条文の内容は「差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない」というものです。
「差別の禁止」と明示されていることがわかりました。しかし、「差別的取扱いの禁止」が明示されているとは断言できないように思います。
この条文を見て私が感じたことは、差別的取扱いそのものを禁止しているのではなく、あくまで権利利益を侵害することを禁止しているのではないかということです。
ちなみに日本国憲法第三章第十四条では「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定められています。
「差別されない」ということと「差別を禁止する」ということ、そして「権利を保障する」ということは似ているようで微妙にニュアンスが異なるように思います。
権利利益を侵害するに至らない差別的取扱いは、法律をもってしてもどうにもならないということではないかと感じます。
差別の禁止を掲げる法律を確認してみて思ったことがあります。「差別はやめよう」という視点からスタートしたり、「差別はやめよう」という声が大きくなりすぎると、そもそもの権利や利益って一体どういうものだったっけとわからなくなりやすいのではないでしょうか。
「差別してはならない」という発想から物事を進めることにより、腫物を扱うようなデリケートな問題になり、本質を見えにくくしてしまっているのではないかと感じます。
差別解消が目的とするものを突き詰めると、「人様の権利や利益を不当に奪ってはなりません」ということに到達するのだと思います。
多様性を認めるにあたって必要なことは、差別を禁止することではなく共存することだと考えます。それが「人様の権利や利益を不当に奪ってはなりません」ということです。
もし私が差別的な扱いを受けたなら、もちろん傷つくでしょう。ですが、法律は「私を傷つけることを禁止しますという」主張を認めるものではないのかなと思います。
何らかの権利や利益を侵害された場合に声を上げることが認められる法律の整備が進むことを希望します。