ほらあなブログ

ちょっと気になることを調べたり考えたりした記録

感情の対象を指定されることへの許せなさ

「あなたは"それ"に対して怒るなら、もっと他の"これ"に対して怒ったほうがいい」
感情のコントロールを手ほどきするように見せかけ、感情の価値を品定めし私以外の価値観の支配下に置こうとする誘導は無視できない。

私が許せないと怒っているのを見た他人が、怒りの対象となる事物とそれに注がれるに値する感情のリソースを見積もる。
私の感情は他の誰にも利用されてはならない不可侵の領域であり、他人により操作されることは許されない。

ここ数日、「温泉むすめ」が炎上している。
「温泉むすめ」についての話題の中で、ろくでなし子氏のこんな言及を見かけた。

無視すればいい創作物(=温泉むすめ)より、(他の)深刻な女性差別(アート活動で女性が受けた不当な求刑)に抗議しないかと呼びかけているのだ。

私はこのろくでなし子氏の呼びかけを、炎上に対して視野を広げるよう促し、レイヤーを別にした観点からの議論へ発展させるコメントだと感じた。それと同時に、感情の対象を指定する領域に踏み込みかねない危うさを感じ少し警戒した。

怒りをはじめとする感情の発散と議論活動は区別して認識するべきだ。しかし議論への熱意の根源となるのは、個々人の抱く感情であろう。
確かに、感情にとらわれていると建設的な呼びかけを被害者意識を伴う強要と誤解してしまうかもしれない。

感情の対象を指定されることへの許せなさを感じているからこそ、冷静さを忘れ建設的な呼びかけを見逃さないようにしたい。