ほらあなブログ

ちょっと気になることを調べたり考えたりした記録

子供の意識の有無が報道された日|ニュースの感想

今日は、午前中と午後それぞれ一つずつ子供の命にかかわる事件事故報道があった。
子供の意識の有無がニュースになる1日だった。

 

午前中は、愛知県の中学校で中学生が刺されたと速報が出た。

9:52Twitterで配信

中3男子生徒死亡 逮捕の生徒 包丁を事前に購入し持ち込みか | 事件 | NHKニュース
ツイートからリンクされたNHK NEWS WEBのページは6:43に更新

13:01「NHKニュース速報」として死亡情報が出る。
@NHK_newsでの配信は15:22。リンク先は上記NHK NEWS WEBのページと同じ。

 

午後には北海道で小学生4人が車にはねらる事故が起きたと速報。

テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイトにはページが確認できず。
ANNニュース系列のHTB北海道ニュースサイトにページがあり。
札幌市の住宅街で 小学生4人が乗用車にはねられる 全員意識あり…中央区旭ヶ丘1丁目 | HTB北海道ニュース

愛知県の事件では意識がないとの第一報報道後、警察情報と思われる死亡発表があった。
北海道の事故では全員意識ありとの速報。
愛知県の事件の場合、もしも意識が回復していたなら速報でニュースが流れたのだろうか。普段ならそれほど気にならなかったと思うが、「死亡」の速報に妙な印象を受けた。具体的にいうなら、民間人の死亡が速報とされることに不自然さを覚えた。センセーショナルな事件であると被害者の死亡が速報されるのだろうか。

冬がくるのにくるぶしソックスから衣替えできない

私の好きな靴下の長さはくるぶし丈です。なぜこの丈を推すかというと、「くるぶしが呼吸しやすいから」。くるぶしソックス以外の丈は、くるぶしの呼吸を妨げます。

初めてくるぶしが呼吸する感覚を味わったのは、私が小学校高学年の頃でした。夏の初め頃に屋外でスポーツレクがあったのですが、上級生が素足で運動靴を履いていました。悪いことだと思ったけれど、なんだか格好いいようにも見えたので目に留まったのです。
「あの6年生、靴下はかないで靴はいてるけどいいのかな」
友達とヒソヒソ話し合っているうちに、気になって気になってどうしようもなくなりました。そこで、その6年生に聞いてみることにしました。
「ねぇ、なんで靴下はかないの」
6年生は靴を脱いで見せてくれました。
「ちゃんとはいてるよ。くるぶし靴下」
それは、足首から上がない短い靴下でした。

友達と私は早速くるぶし靴下の真似をしました。靴下の履き口からくるくるとドーナツ状に巻き下ろすと、それっぽい見た目になりました。このとき私は「くるぶしで息ができるようになった」と思いました。しかしすぐに嫌になりました。玄関ドアのガラスに映った自分の脚を見て、泣きたくなりました。「くるぶしで息ができなくて苦しい」。

運動靴と脚の間にくるくる巻き下げたドーナツ部分があるので、脚が太く見えるのです。くるくるを元に戻して普通にしても脚は太く見えます。すねのおかしな場所に靴下で区切りができるせいで、脚が実際よりさらに太く感じられるのでしょう。

中学生になると、部活用の靴下にくるぶし丈を選ぶ子が多くなりました。
「お母さん、次から短い靴下買って」
地下足袋みたいで変な靴下と言いながらも、お母さんはくるぶし靴下を買ってきてくれるようになりました。
くるぶし靴下の日は短パンになっても安心して部活ができました。くるぶし靴下じゃない靴下の日は、どんなに暑くても短パンにならないことにしました。

制服を着るときのハイソックスには何も文句がありませんでした。ただし、絶対にひざ下までの長さがあるハイソックスでないといけません。中途半端な長さの靴下を履くぐらいならタイツを選びました。だって脚が太く見えるからです。

大人になって働くようになってからは、ほとんどくるぶし靴下を買いませんでした。スーツ着用の日はストッキングを履き、それ以外の服装のときはくるぶしの隠れる靴下を履きました。事務サンダルにくるぶし靴下をあわせると、逆に息ができなくなるからです。そんなことになるのは、私がくるぶし靴下と出会って以来、初めてのことでした。

今は自宅でできる仕事をしていて、靴下はくるぶし丈です。くるぶしが呼吸しやすいからです。そろそろ冬がきますが、まだ靴下の衣替えができていません。私は、くるぶしが呼吸しやすいのでくるぶし丈の靴下が一番好きです。

今週のお題「お気に入りの靴下」

昨日のエントリの種明かし

昨日のエントリは、実はダイヤモンドオンラインのある記事の構成をそっくりなぞったものでした。

現・無産階級者の私が「人生をやりすごしたい人こそ本を読めばいい」と思うワケ

元日本一のニートが「人生を本当に変えたい人は本を読もう」と語るワケ

元記事が興味深いタイトルだったので思わずクリックして読んでみたものの、なぜだか内容が頭に入ってきません。
新刊の宣伝を兼ねた記事だというところまではわかったのですが、「語るワケ」の「ワケ」が最後までよくわかりませんでした。
そこで、じっくりと精読するがてら文章構造を紐解く意味でも、内容を自分の立場に書き換えながら解読してみたのです。

「人生を本当に変えたい」の到達点が「同調圧力と戦う」であると理解するまでに、しばらく時間がかかりました。
しかしphaさんがこの文章で一番伝えたかったのは、「本は自分を守ってくれる」ということではないかと思いました。

私も同じ構造で内容面を考えながら文章を作ってみましたが、一番伝えたい主張まで持っていくのが大変だなあと感じました。
「そんなに世界に対して意気込まずにほどほどにやっていこうぜ」という内容を、ダメっぽさ全開でまとめたかったのですが、伝わったでしょうか?

申し訳ないことに、構成丸パクリエントリがはてなブログトップページの「読書・マンガ」トピックに反映されてしまい、数時間居座らせてもらいました。
お詫びにエントリ内で挙げた本の種明かしもここでします。

  • 一体何からくる熱意でそんな偉業を達成したのかと思うほどの伝記

杉原千畝の伝記。1991年朝日ソノラマ刊行の『六千人の命のビザ : ひとりの日本人外交官がユダヤ人を救った』だと思われる。ユダヤ人といえば私は小さいころからアンネフランクの伝記漫画が好きでよく読んでいました。高校の図書館でこの本を見つけ、アンネ以外の視点から第二次世界大戦を知ることができました。

  • 産業革命で悲劇的な状況に置かれた女工を哀れんだノンフィクション

『あ丶野麦峠―ある製糸工女哀史―』。これも高校の図書館で見つけました。回転本棚をぐるぐるしているときに何となく気になって手にした本。

  • グロテスクな内観の発露を現代美術を盾に堂々開陳した画集

これも高校の図書館で新着本で入ってきたときパラパラ眺めました。ただし、画家の名前をまったく覚えていない。おそらく油絵で暗い色合いの画風。巨大化した幼児とか、何かが切断されてるだとか、そういう作品が載っていたと記憶しています。

現・無産階級者の私が「人生をやりすごしたい人こそ本を読めばいい」と思うワケ

特筆すべき大それた肩書もない私がこのエントリにタイトルをつけるにあたって、はじめは自身を「小市民」と称すつもりだった。
「小市民」という自称に生意気にも謙遜したつもりでいたが、よくよく調べてみると私ごときが名乗るにはおこがましいにもほどがある階級であるとわかった。
小市民――プチブル――とは、資本主義社会における中産階級を示す。現代の文脈ではサラリーマンや公務員、自営の商工業者も該当するという。
正規の定職に就いていない私を表すには「無産階級」と言ったほうがふさわしいであろう。

読書で「世界」が見える

このように今自分が生きている世界を認識するには、それを言い表すにふさわしい言葉が必要だ。
さらに、言葉を知るには対話を通して語句とその用法を収集しなければならない。
他人とのコミュニケーションに難がある私は、不足する対話の機会を読書によって補うことにより言葉を収集している。
つまり、読書で世界を見ているというわけだ。

退屈だったり辛かったりする今の状況から逃げ出したいくらいの気分のとき、世界は敵にさえ見えるかもしれない。
「敵を知り己を知れば百戦殆からず(かれをしりおのれをしればひゃくせんあやうからず)」という故事成語のとおり、敵と戦うにはまず敵を知る必要がある。
戦うまでの気概がなく、とりあえず人生をやりすごしたいという人にとっても敵を知ることは戦略のヒントになるはずだ。

本は私にとってそこそこの相棒となってくれた

私は10代の頃、学校も家も自分にとって味方だと思えなかった。
混沌とした自我に溺れそうになっていた思春期、現代文の教科書に載っていた物語だけが現実逃避させてくれた。
それから私は、図書館や書店で本に触れる機会を増やしていった。

当時の私の心の中は、周りと自分を比較しては劣等感を募らせていた。このままではいつか他人に妬みの気持ちをぶつけてしまうのではないかと、不安を覚えるほどだった。
こんなに悩んでしまうなんて自意識過剰なのでは、とも思っていた。

そんな状況の中で、本は私にとってそこそこの相棒となってくれた。

  • 一体何からくる熱意でそんな偉業を達成したのかと思うほどの伝記
  • 産業革命で悲劇的な状況に置かれた女工を哀れんだノンフィクション
  • グロテスクな内観の発露を現代美術を盾に堂々開陳した画集

そんな本たちを読むことで、私は少しずつ自己や世界との距離の保ち方を覚えていったのだ。

「夢も希望もない」無気力から目をそらすために

読書は、人生を諦めたくなるほどの無気力から目をそらすことに役立つ。
周囲の人たちからのプレッシャーや格差社会が見せる現実と向き合うとき、バカ真面目に対峙していては身がもたない。

そんなとき、自分と世界の間にワンクッションおいてくれるのが本だ。
現実世界との折り合いのつけ方は誰も教えてくれないので、それならばいっそのこと本の世界に逃げ込んでしまえばいい。

読書は、いつでも誰に対しても余興を提供してくれる。

感情の対象を指定されることへの許せなさ

「あなたは"それ"に対して怒るなら、もっと他の"これ"に対して怒ったほうがいい」
感情のコントロールを手ほどきするように見せかけ、感情の価値を品定めし私以外の価値観の支配下に置こうとする誘導は無視できない。

私が許せないと怒っているのを見た他人が、怒りの対象となる事物とそれに注がれるに値する感情のリソースを見積もる。
私の感情は他の誰にも利用されてはならない不可侵の領域であり、他人により操作されることは許されない。

ここ数日、「温泉むすめ」が炎上している。
「温泉むすめ」についての話題の中で、ろくでなし子氏のこんな言及を見かけた。

無視すればいい創作物(=温泉むすめ)より、(他の)深刻な女性差別(アート活動で女性が受けた不当な求刑)に抗議しないかと呼びかけているのだ。

私はこのろくでなし子氏の呼びかけを、炎上に対して視野を広げるよう促し、レイヤーを別にした観点からの議論へ発展させるコメントだと感じた。それと同時に、感情の対象を指定する領域に踏み込みかねない危うさを感じ少し警戒した。

怒りをはじめとする感情の発散と議論活動は区別して認識するべきだ。しかし議論への熱意の根源となるのは、個々人の抱く感情であろう。
確かに、感情にとらわれていると建設的な呼びかけを被害者意識を伴う強要と誤解してしまうかもしれない。

感情の対象を指定されることへの許せなさを感じているからこそ、冷静さを忘れ建設的な呼びかけを見逃さないようにしたい。

はてなブログのトップページがよくなった

はてなブログのトップページよくなった!
トピックごとにタブができて、ジャンル別に記事を探しやすくなってる°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

どんなクラスタはてなブログに生息しているのか偵察できるのが一番いい(笑)
はてなのサービス利用者といえば技術者のイメージがありました。でもトピックの並び順を見るに、ライフスタイル系のブロガーさんが増えてきているのかな?

実は、以前「はてなブロガーに10の質問」答えてみたを書いたとき、運営に対してボロクソ文句を書き散らしたことがありました。
はてなブログのトップページがイマイチでおもしろいブログが発掘できないぞと。

あのあと、ちょっと反省してました。。。
というのも、文句だけいっちょ前に垂れてるくせに努力を怠っていたからです。自分ではてなブックマーク巡回したり、はてなブログの公式Twitterがシェアしてる記事に飛んだりetc...

ボロクソ言ってすみませんでした。そしてありがとうございます!
トップページのリニューアルに甘えず、さらに独自におもしろいブログをサーチしまくります。

というかここのところ、2014年頃に注目されていたブログをおさらいして興奮しとります(笑)
いくら時間があっても読み切れない……

もしトップページのトピックスの分類に要望が出せるなら、「オピニオン(あるいは物申す)」「炎上」「ネットバトル」のどれかが追加されて欲しいなぁ₍₍ο(*⸝⸝˃ ᵕ ˂⸝⸝*)ο₎₎ゎ‹ゎ‹

Yesterday卍リベンジャーズ

今週のお題「秋の歌」

 

今日、初雪が降った。夕方からちらちら降り始めて、砂利道に1cmくらい積もった。そのまま溶けないで夜になったけど、おそらく明日の朝もまだ残っていると思う。

 

冬が来る前に秋の色がまだ残っている。あと1か月もすれば辺り一面、真っ白な雪に覆いつくされる。そういう冬の勢いに抵抗しているみたいに秋の残り滓が道路の脇だとかに吹き溜まっている。

 

インスタに上げたくなるような鮮やかなモミジやイチョウの葉っぱはここいらでは見られない。茶色くてガサガサした、剥がれた瘡蓋みたいな葉っぱがいくつもいくつも道端に掃き寄せられているだけだ。

 

***

 

高校の通学路の途中によく整備された遊歩道があった。

 

チョコワを食べた後の牛乳のようなレンガ色のチップが敷き詰められていて、遊歩道ができたばかりの頃はもう少しふかふかとしていたのにと下宿のおばさんが教えてくれた。

 

その頃といえば音楽でBeatlesのYesterdayを習ったばかりだったから、学校の帰り道に自然と頭の中でフレーズが再生された。単語なんかも高校生が脳内歌唱できるくらいの易しいレベルだったから、何度も何度もリピート再生しながら帰路を進んだ。

 

www.youtube.com

 

テスト期間で部活が休みのときなんかまだ日の出ているうちに帰れるから、これみよがしにぶらぶらとレンガ色の遊歩道をあえて徒歩で通るためにチャリ通しなかったりした。

(遊歩道のわりに街灯が少なくて陰気な感じがしていたので、日が沈んだ後そこを通るならばチャリで爆走する必要があったのだ)

 

***

 

シーズンなんてないような競技の運動部だったけど、なんとなく目標にする大会もしばらくないし中だるみしたような張り合いのないままテスト休みに突入した。

期末とか中間はとりあえず赤点を逃れられそうなくらいはいけるからいいとして。模試ってなるとうまく点がとれなくて志望校判定もこんなんでいいのかなって、でもまだガリガリやる時期じゃないよねって思う。

夏とか?学祭の頃は同じブロックになった先輩を好きになってキャーキャーやってたけど、後から彼女がいるってわかってからはしばらく好きな人がいない。

 

夏が完全燃焼しないまんま秋になっちゃって、メンヘラみたいになってる。

何に対しても身が入らないっていうか、かったるい感じ。

そのくせやたらと甘いものばっかり食べたくなって、でも太るのもやだし・・・

 

***

 

脳内で再生していて、聴いていて、気持ちが上向きになる曲では決してないのに繰り返し繰り返し唱えてしまう。

こういうときは無理にテンション上げようとするより、思いっきりそういうメランコリックで感傷的な世界に浸るのがいい。

 

秋に口ずさむのは、こういう西洋の男が失恋してメソメソとタイムリープしたいよおと嘆いている歌が実にいい。