ほらあなブログ

ちょっと気になることを調べたり考えたりした記録

今まで何となく思い描いていた「自然豊かな風景」の概念を見直した話

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自然豊かな風景ってどんな風景だろう

「自然豊かな風景」って何だろうと考えたとき頭の中で自動的に再生されるのが、セイコーマートの牛乳のCMです。

どういうCMかというと、松山千春の「大空と大地の中で」をBGMに、北海道の広大な酪農地帯の風景を上空からなぞった映像で構成されています。

 

セイコーマートのCMを見たことがないという方は、以下のセイコーマートの牛乳について特集されたページに使われている画像を見ていただけると、私のイメージが共有できます。

 

www.seicomart.co.jp

 

頭の中で「大空と大地の中で」が再生されましたか?

ところどころ白い雲が浮かんだ空との境界を地平線が走っていて、なだらかな丘陵地帯は鮮やかな緑色の牧草で覆われています。

ホルスタイン牛がのびのびと草を食んでいる風景は、いかにも「北海道の牧場」といった印象です。

 

私自身が育った環境も、車で数分移動すればセイコーマートのCMに出てくるような酪農地帯が広がっていました。

そういう背景もあってか、私にとって「自然豊かな風景」といえば「牧草地!青空!牛!」という概念が当たり前だったのです。

 

映える風景の裏には人間の営みがある

当たり前すぎて普段なかなか意識にのぼらないのですが、牧場と言うからには人間の手が加わっています。

入植した先祖が熊笹に覆われた土地を開拓し、牛を放牧したり牧草を育てたりできるエリアに整えました。

牛がのびのび過ごしている部分はきれいに整っています。一方で農地と農道の境目には笹薮が生い茂っていて、真夏になれば結構な高さになります。

 

もし仮に酪農地帯が存在せず、ただただ笹薮だらけの土地が延々と広がっている風景を目にしたとき、私はそれを「自然豊かな風景」だと感じるでしょうか?

私が抱いた印象をなるべく適切な言葉で表現するとしたら、おそらく「未開の地」という言い方をすると思います。

「自然」というよりも「野生」みを強く感じます。

 

これ以外にも、今まで何となく「自然豊かな風景だな~」と思い込んでいた景色が、実は人の手を加えることによって成り立っていたパターンは存在するのではないかと思います。

「自然豊かな田舎」も「人々が暮らしている里山」であって、人が手入れをしているから保たれている自然環境です。

 

つまり、そもそもの「自然豊かな風景」の概念は人間が到達できる範囲の風景であり、本来の「自然」の環境というものは人間は知り得ないのではないでしょうか。

そうすると今まで私が「自然」だと認識していたものは、「自然」っぽいものにすぎなかったのかもしれません。

 

「自然豊かな風景」の概念を見直したきっかけ

なぜ突然こんな哲学のような思考に至ったかと言うと、農地で勝手に写真を撮られて困っている酪農家さんのツイートを見かけたからです。

旅行者にとっては写真映えする景色でも、酪農家さんからすると商売道具となる大切な土地であるという二つの視点が両立します。

自然っぽいものを消費し楽しみの対象とする立場と、自然が脅威であり畏れの対象である立場には、自然に対する大きな認識の差がありそうだと感じました。