主張のない叫びとSNSの魔物
今週のお題「叫びたい!」
叫びたいこと。
隣の部屋の住人がたてる物音をいい加減にしてほしい。
「うるさーーーい!!!」
これ下手したら自分の叫び声の方が騒音になるのでは。
たぶんデシベル的にも上回ってしまうだろう。
そもそも自分は本心から「うるさい」と叫びたいと感じているのだろうか。
「うるさい」というのは相手に通したい主張ではない。
「うるさい。だから、静かにしてくれ」
つまり
「静かにしろ」という要求を相手に呑んでほしい。
叫びと主張は、似ているようで違う。
※ ※ ※
遠くにいる、自分の主張を聞いてくれるかどうかもわからない相手に叫びたくなることがある。
それも、人生で一生関わらないであろう相手に叫びたくなる。
きっとリアルで対面したら何も言わない。
後になってからSNSで愚痴るだけ。
そう思うと直接相手に言ってやりたいことというものは、そうそうない。
※ ※ ※
オーディエンスがいる。
独り言のつもりで発した言葉が拡声器を通したように大きな主張に化ける。
通したい主張なんて初めはなかったのに、相手に届くころには禍々しい叫びに変容している。
相手に何かを要求したり制限したりする呪いになっている。
※ ※ ※
言いたくないことを言わされていないか。
叫ぶ必要もないことを叫ぶよう踊らされてはいないか。
誰かに仕向けられていないか?
※ ※ ※
「けしからん」「○○すべき」「これどうなの」
怒りのように思える叫びの本質とは、ちょっとだけ怖かったり不安だったり、誰かが寄り添えばすぐに消失する弱音に過ぎなかったりする。
特段主張のない叫びを喰っては吐き、SNSは膨張を続けている。