読めるようになるまで3ヶ月くらいかかった記事がある
見出しをみるだけで辛すぎて、読めるようになるまで3ヶ月くらいの時間を要したと記憶しています。
夏になりやっと読めるようになった。
でも、その夏というものは私にとって非常に辛い夏でした。
何かにとり憑かれたかのように新聞のお悔やみ欄を眺めていました。
なぜ彼らが亡くなり私はこうして生きているのか。
答えはお悔やみ欄に見つかりませんでした。
薬の作用がもたらしたものなのか、ひたすらに喉が渇き、とにかく体が水を求めていました。
冷蔵庫のミネラルウォーターをいくら飲んでも満たされず、甲状腺疾患を疑い検査も受けました。
ある夏、私は薬を大量服用し命を絶とうとしていました。
ある夏、私はベルトとタオルで首を吊り命を絶とうとしていました。
ご先祖様に呼ばれているような気もしていました。
でも、ご先祖様の命日に逝くことだけは何とか避けようと生き延び続けました。
そして生き延びてこれを書いています。
死人は口をきけません。
旭川の事件の真相解明がなされ魂が癒えることをお祈りしこの記事を終わりとします。